NIH留学記
2008/3/9 北尻真一郎
1. はじめに
唐突ですが、京大耳鼻科のホームページをご覧の皆様は、どのような目的でこの留学記をお読み下さるのでしょうか。ちょっと想像してみました。「将来、留学の可能性を考えているので、実際を知りたい」という方もおられるでしょうし、「何となく、臨床医の留学生活に興味があった」という方もいらっしゃるでしょう。医学生の方、耳鼻科医の方、他科の臨床医の方、医者ではないが医学研究に携わっている方、耳鼻科疾患を患っている方、一般の方。ホームページを訪れて下さる様々な方全てのご期待に添うような文を綴る筆力は残念ながら持ち合わせていませんが、皆様がそれぞれの興味に合わせて読み飛ばせるように、項目に分けて書いていきたいと思います。順に読んで頂かなくても、それぞれの項目だけ読んでも分かるようにしますので、お気楽に眺めて頂ければと思います。
2. 自己紹介、略歴
僕は2005年4月より米国国立衛生研究所(NIH)に留学して、もうすぐ3年になります。1971年に大阪で生まれ、1996年に岡山大学医学部を卒業し、京大病院耳鼻科で1年間研修医をしました。当時はまだ臨床研修が義務化されておらず、ローテートはしていません。1997年より4年間、公立豊岡病院という地方基幹病院に耳鼻科医として勤務し専門医資格を取得しました。2001年から4年間、京大大学院にて内耳の基礎研究を行い学位を取得、卒業と同時に留学しました。
3. 内耳の基礎研究と留学を志望した訳
僕はもともと臨床医として勤務していましたが、実際には治せない病気の方がたくさんおられます。耳鼻科の領域も例外ではありません。命に関わる重篤な病気としては進行した頭頚部癌などがそうですし、多くの方が困っておられるという意味では花粉症も根治しない事が多々あります。そんな中で病態すら不明な点が多いのが内耳疾患です。例えば、濱崎あゆみさんがかかられたと話題になった「突発性難聴」という病名そのものには「急に聞こえなくなった」という意味しか含まれていません。なぜ聞こえなくなったのか分かっていないのです。僕は、そういった内耳の機能や病態の一端を解明し、現在は治せない難聴の治療に繋がる研究をしたいと思うようになりました。そこで大学院へ進学して基礎研究を始めました。研究とはとても楽しいものです。世界中の誰もまだ知らない、神様のパズルが解けた瞬間の気分は何物にも代え難いものがあります。大学院を終了した後も研究をさらに続けたいと考えて留学先を探しました。海外での生活を一度は体験したいというのも動機のひとつでした。
4. 留学先が決まるまで
まずは自分に興味のある研究をしている研究室を探すことから始まります。京大耳鼻科では国際学会への参加を伊藤教授が積極的にサポートして下さった事もあり、ここで世界の様々な研究者と知り合いになることが出来ました。直接会うことなくインターネット等で探してメールを送る事も可能でしょうが、実際には研究者の世界は結構閉鎖的です。海外といえども、面識があるかどうか、直接知っている人からの紹介があるかどうかでかなり扱いが違ってきます。僕の場合は国際学会に多く出席させていただいたのみならず、候補に考えている米国や欧州の研究室のいくつかを見学させてもらいました。これも「伊藤教授」と「京都大学」という海外で通用する名前のお陰です。最終的にはNIHに留学することに決めたのですが、その決め手は「留学先のボスの考え方と人柄」でした。この判断は正しかったです。ボスとの相性が悪いと本当に辛いことになります。逆にボスさえよければ何とかなります。もちろん、研究内容や生活環境も考慮した事は言うまでもありません。
5. NIHでの研究内容
僕が留学している研究室は「Laboratory of Molecular Genetics (LMG)」という名前です。つまり遺伝学のラボです。ここはヒト遺伝性難聴家系のDNAサンプルを大量に擁しており、その数は1000家系ちかくにのぼります。これらのサンプルを集め、そこから難聴を引き起こす遺伝子異常を同定することでこの研究室は発展してきました。その遺伝子(DNA)に異常があると難聴になる、つまりその遺伝子は聴覚に必要だというところまではこれで分かります。しかし、その遺伝子産物(蛋白質)が内耳や聴神経でどのような仕事をしているのか、という事までは分かりません。
一方僕はというと、実は遺伝学の知識はほとんど持ち合わせていませんでした。大学院では細胞生物学をやっていました。細胞生物学とは、特定の蛋白質が細胞の形態に及ぼす機能を調べるもので、「分子の同定、クローニング」「ノックアウト、ノックダウン」「強制発現」などという分子生物学的な手法を駆使し、「蛍光顕微鏡、電子顕微鏡」などで主に形態を評価するものです。これらの経験を生かして、LMGで同定された難聴遺伝子の産物が実際にどのような機能を持つかを解析するのが僕の仕事です。具体的には、その遺伝子のノックアウトマウスや、ヒト変異のノックインマウスを作製して聴覚の表現形を見たり、その遺伝子の発現ベクターを作製して培養細胞や内耳器官培養での局在や過剰発現による表現形を調べています。抗体も作製して内在性の局在も検証します。野生型の蛋白、ヒト難聴変異を持つ変異蛋白、各ドメインのみのフラグメント等の精製蛋白を用いて生化学的な解析も行っています。
種々の分子を扱っていますが、それらのプロジェクトのひとつ、Triobpという分子の解析について具体的にご紹介します。これは2008年2月にAROという学会で口演したものです。
Triobpという分子をコードする遺伝子の異常が、ヒト遺伝性難聴DFNB28の原因としてLMGで同定されたのが2006年のことです。早速このTriobpに対する抗体を作製してマウス内耳を染色したところ、各不動毛の根に局在することが分かりました。蝸牛の不動毛はアクチン骨格を持つ微絨毛が特殊に分化したものですが、これは細胞膜直下から細胞内への方向へ非常に長いアクチンの根を持つのです。そこにTriobpは局在していました。Triobpを発現しないノックアウトマウスを作製したところ、この不動毛の根が失われていました。生後間もないマウスではこの根なし不動毛は振動刺激に対して正常に脱分極するのですが、やがて根なし不動毛は変性していきマウスは完全な聾となります。つまりTriobpが不動毛の根を形作るのに必須であること、根がない不動毛は形態を保てないことが明らかとなりました。現在はTriobp蛋白を精製してアクチンとvitroで反応させる実験を行っているのですが、どうやらTriobpはアクチン繊維を束化することで不動毛の根を作っているようです。
せっかく遺伝学の研究室に来た訳ですから、こういった細胞生物学的実験だけではなく、ヒト家系の連鎖解析といった遺伝学のプロジェクトもやらせてもらって勉強しています。こちらはすでに二報ほど、筆頭著者として論文を出せました。
6. 米国での私生活と研究生活
僕が住んでいるのはメリーランド州ロックビル市という場所で、首都ワシントンDCの郊外です。DCからは車での地下鉄でも40分程度です。ここは適度に田舎で、都会に適度に近く、治安もよいいいところです。自宅から研究室までは自転車で15分程度で、基本的に自転車通勤です。帰宅は夜中になることもよくありますが、ぜんぜん怖くありません。ただ冬は寒いのが難点で、ついつい自動車で通って運動不足になってしまいます。
冬は寒いといっても、京都よりはましなような気もします。でも年によって差が大きくて、よく雪が降る年は本当に豪雪になる日もあります。緯度は仙台と同じくらいで、さらにサマータイムがあるので季節による日照時間の差は大きく感じます。冬は夕方5時過ぎに暗かったりしますが、夏は8時を過ぎても明るいです。夏はやはり暑いですが、湿度が低いせいか日本よりはずいぶんましです。洗い物はすぐ乾きますし、ポテトチップスは湿気ません。それでもDC周囲は米国の中では湿度が高いほうだそうです。
米国には妻と二人で渡りました。妻は家で独りでいると退屈だからと、図書館でアルバイトを始めました。米国で仕事して英語が上手くなりたかったそうなのですが、図書館では皆静かで喋らないので失敗だったようです。でも友達もできて楽しそうにしていました。僕はもっぱら仕事が生活の中心です。こちらのラボでは皆さん9時頃に出勤してきて、17時すぎにはほとんど帰ってしまいます。臨床では(NIHには大きな病院もあります)カンファランス等は朝早く、7時過ぎ頃から行われますが、やはり18時までには帰ります。土日もしっかり休みです。しかし「働きたくても働けない」「仕事にならない」訳ではなく、仕事したければいつでも出来ます。ので僕は結構、夜中や土日に働いてたりしますが、これは好きでやっていることです。ボスには「夜や休日に働いてるから、平日の昼に休んでもいいよ」などと言われて、時々そのお言葉に甘えています。
もちろん仕事しかしていない訳もなく、色々と楽しんでいます。夏と冬(感謝祭やクリスマス)にはほぼ必ず旅行に出かけていますし、DCにもよく遊びにいきます。DCのコンサート会場の座席数はニューヨークに次いで全米二位らしく、確かに色々と催し物があります。中村勘三郎の歌舞伎、野村萬斎の狂言、桂歌丸の落語といったものも見に行きました。日本にいたときよりも伝統芸能に触れているかもしれません。スポーツでは大リーグ(ナショナルズといって弱い)、バスケ(ウィザーズといって弱い)、アイスホッケー(キャピタルズといって弱い)、アメフト(レッドスキンズというが弱くない)と四大リーグが揃っています。
妻はこちらで妊娠、出産しました。NIH勤務者に支給される医療保険は大変充実しているので、全く不自由ありませんでした。しかし米国では保険制度が日本のようにしっかりしていないので、留学先がどの程度サポートしてくれるかは大きな問題だろうと思います。今は以前のようにレジャーに出かけるよりも、子育てを楽しむ時間が増えました。出産前には研究室の仲間がベビーシャワーといって、皆で盛大にお祝いしてくれました。出産後も毎日のように「赤ちゃんはどう?」と聞かれ、そんなに毎日ネタがないので困っています。事ある毎に玩具や子供服をくれますが、なかにはアメリカ人でないと似合わないような派手なのもあります。
7. おわりに
自分が希望した研究室で自分が望む研究を存分にやらせてもらえて、とても有り難いことだと思っています。僕の場合は、留学する前から京大耳鼻科の大学院生の頃からそういう環境で研究させてもらえていましたので、より一層恵まれています。そういう僕にとって留学して変わったのは、仕事内容よりも生活面の方が大きいです。日本を離れて異人さんに囲まれていると、自分の日本人としてのアイデンティティーが周囲とのコントラストでより鮮明になった気がします。米国の生活も楽しいですし、具体的に不満がある訳ではないのですが、何となく日本が恋しくなります。米国に来て長い友人の一人が、「時々、特に用事がなくても一時帰国して息継ぎすること。それが長く滞在するための秘訣だよ」と言っていました。祖国とはそういうものかも知れません。

最終更新: 2012年1月31日 23:05