冬の思い出
2007/12/7 木村俊哉
12月7日、今日は当直だった。
偶然か必然か、医学部の合唱部(メディコ)が、クリスマスソングを南7階に届けに来てくれた。
派手に着飾るでもなく、質素に過ぎず、この病棟には何となく馴染んでいる風だった。
中学受験に失敗する前の冬の、2つの思い出が蘇るようだった。
もう24年も前のこと。
二人の姉が通っていたらしい小さな教会に、何故か通う羽目になっていた私。
受験勉強で忙しくなり足が遠のいていた私のところに、
キャンドルサービスをしに来ませんかと教会からお呼びがかかった、そんな経緯であったと思う。
地域の人々の家々を、ろうそくを片手に廻っていた。
内心、いつ終わるのかと思っていた。
だんだん教会からは離れていく。不安だった。
キャンドルの列は、いつの間にか見慣れた景色の中へ。
そう、私の家の前に。教会の人がインターホンを押すと出てきたのは母だった。
母は特に驚く様子もなく、キャンドルの列に微笑み、慣れたように私たちの歌を聴いてくれた。
他人の中にいる自分は何となく恥ずかしい気分だった・・・。
小学校の高学年ぐらいのころは、スポーツと勉強ができれば学校では目立つ存在になる。
自分はその一人。学級委員でもあった。
ただ自分の中では、中身よりも評価が先行していることは分っているつもりだった。
当時、クラスの隣の席に転校してしばらくの子がいた。
後から知ったのだが、校区から少し外れた越境であったようだ。
彼女は自分に興味を持ってくれた様だった。
クリスマスに母が本を枕元に置いてくれることが習慣となったのはこのころだった気がする。
家族の中で、私が最も本を読むのを苦手にしていたからだ。
隣の席の子とは、クリスマスのころには接点がなくなりつつあったが、
彼女はクリスマスプレゼントを、友達を介して私の家に届けてくれた様だ。
プレゼントは2つ。手編みのグリーンのマフラーと、自分で歌ったクリスマスソングのテープ。
歌の中で最も印象に残っているのは、
メディコが2回歌ってくれた2曲のうちの1曲だった。
当時、オーストラリアの第2国歌である、と記憶したような気がするが・・・。
その子の名前はいまだに覚えている。
苗字は、少しだけ変わっていた。うちの大学院生にもいる。
名前は、今斜め後ろの席に座っているリーダーが、夏ごろよく口にしていたB型の子と同じだ。
テープはどこに行っただろうか。
マフラーは物置の奥の奥の方に放り込んだ。
彼女の方が、ずっとずっと大人だった。
小さな居酒屋の一人っ子。血液型はA型だった。
最終更新: 2012年1月31日 23:05


