今村貞夫 教授のプロフィール
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今村貞夫は昭和10年2月5日京都市にて出生。 昭和28(1953)年3月10日福井県立若狭高等学校卒業。同年4月1日京都大学理学部に入学し,昭和30(1955)年3月31日に同上2年修了する。 昭和30(1955)年4月1日京都大学医学部医学科専門課程に入学し,昭和34(1959)年3月24日に同上卒業する。 昭和34(1959)年4月1日京都大学医学部附属病院にて実地修練を開始し,昭和35(1960)年3月31日に同上終了。 昭和35(1960)年6月10日第28回医師国家試験合格し,同年7月1日京都大学医学部附属病院助手となる。 昭和41(1966)年7月22日米国マサチュ-セッツ州ボストン大学へ留学し,2年後の昭和43(1968)年7月11日京都大学医学部附属病院助手に復職,同年11月25日京都大学医学博士となる。
昭和45(1970)年6月16日関西医科大学助教授(香里病院勤務)を務める。 |
今村貞夫教授時代(1980年~1997年)
そこで,大学院生のかなりの人達を,医学部基礎教室やウイルス研究所,胸部疾患研究所,理学部などへ派遣し,近代基礎医学の方法や考え方を学ばせ,それを身につけて皮膚疾患の病態の解明を図ろうとした。その結果,これまでに今村教授の教室の大学院生を受け入れてくれた教室は18教室にのぼり,いずれも大変熱心に教えていただくとともに暖かく接していただいた。
今村教授は,基礎医学で学んだ成果をそれだけで終わらすのではなく,皮膚科に還元することが目標であったので,大学院生には基礎的な論文とともにその皮膚科版としての論文の2つのの完成をもって学位授与の基準とした。この基準は大学院生にとってはなかなか厳しかったようで,大学院終了後直ちに学位を取得する者は少なく,さらに2,3年を要する者がほとんどであった。
先にも書いたように,今村教授は教室員に対してできるだけ自由に研究させようとしたが,教授就任当初の今村教授自身の興味としては,紅斑症の発症機序についてであった。これは,今村教授がまだ助教授の頃,先代の太藤重夫教授が蕁麻疹や接触皮膚炎についてはアレルギー反応の詳細がかなり研究されているが,紅斑症については明らかでないので研究してみてはどうかと言われたことからであった。
そこで,当時の若い人達に手伝ってもらい,紅斑症の代表疾患である多形滲出性紅斑について免疫アレルギーの側面だけでなく,薬理学的,生化学的な側面などからも研究し,アレルギー反応,ヒスタミン代謝異常,活性酸素の産生など様々の要素がからみ合って生じてくることを認め,平成3年京都で開催された第90回日本皮膚科学会総会・学術大会の会頭講演として発表された。
平成元年,今村教授は久留米大学笹井陽一郎教授の後任として,厚生省特定疾患稀少難治性疾患調査研究班の班長に選ばれた。皮膚科を中心とする全国29施設に班員,研究協力者を依頼し,5年間,表皮水疱症,膿疱性乾癬,天疱瘡の疫学調査,診断基準,治療方針の作成に取り組むとともに,これら疾患の基礎研究が行われた。教室の若い人達にもかなりの負担をかけたが,その一方,水疱性疾患の発生機序に関して免疫学的手法に加えて,分子生物学的手法の導入などを行い,結果としてかなりの論文を国際誌に発表することが出来たのであった。
平成5年10月,第2回三大陸合同研究皮膚科学会を国立京都国際会館で開催した。
本学会は,日本,米国,欧州の各研究皮膚科学会の合同学会であり,第1回はアメリカのワシントン市で行われ,皮膚の生理や病態を扱う世界のトップの研究者が一同に会した皮膚科領域では最も質の高い研究学会である。この学会をわが国で初めて京都の地で開催したのだが,約1,000名の参加者のうち,その半数が世界30ケ国からの外国人であり,きわめて質の高い演題の発表と,熱心な討論に明け暮れた4日間であった。




