山本俊平 教授のプロフィール
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山本俊平は明治31(1898)年11月13日,静岡県伊東市にて出生。大正9(1920)年旧制第七高等学校を卒業。 大正13(1924)年京都帝国大学医学部を卒業し,同年京都帝国大学医学部皮膚病学黴毒学教室に入局。昭和3(1928)年,京都帝国大学医学部の講師となり,昭和4(1929)年 医学博士学位を授与される。 昭和7(1932)年大阪女子高等医学専門学校皮膚科泌尿器科の教授に就任し,昭和14(1939)年に同病院長となる。
昭和20(1945)年7月11日,京都帝国大学医学部の教授に就任。昭和29(1954)年10月20日より昭和32(1954)年12月16日まで京都大学結核研究所長,京都大学医学部附属病院長を務め,昭和32(1957)年12月16日より昭和36(1957)年6月15日まで京都大学医学部長を務めた。
昭和36(1961)年11月12日,京都大学医学部教授を定年退官する。同年,財団法人田附興風会北野病院長。同年,京都大学名誉教授に就任。 |
山本俊平教授時代(1945年~1961年)
昭和19(1944)年山本俊平が教授に就任し,皮膚疾患と全身状態,特に準備状態を形成する諸因子に関する研究を行なった。すなわち各種皮膚疾患において臓器機能,内分泌,ビタミン,アミノ酸,リポイド,血清蛋白分屑,pH等の異常を検討し,さらに系統的な動物実験を加えて,皮膚疾患が発生するには諸疾患に対して一定の準備状態が存在することを明らかにした。
実験的には,刺激性または感作性皮膚病変,スピロヘータ疾患,糸状菌症,葡菌症を,肝障碍,腎障碍,甲状腺機能異常,副腎皮質機能異常,糖尿病,睾丸,卵巣摘出,男性・女性ホルモンの過剰投与,インシュリン投与,各種ビタミン欠乏,各種薬剤投与等の状態下で検討し,上記関係の存在を裏書きする事実を得た。
例えば糖尿病家兎では刺激性皮膚病変は増強されるのに対して感作性病変は抑制され,梅毒性病変は2期疹に限り悪性像を呈し,梅毒再・重感染に対する通常の免疫は成立し難いとした。
この他諸種抗生物質の実験的スピロヘータ疾患に対する影響を検討し,それらのひとつは講師小森谷正義の名で皆見賞を受けた。




