聴神経機能の再生
- はじめに
『聴覚は一度失われると, その機能を再生させることはできない』, これが従来からの考え方でした注1. ところが, 2001年にラット神経幹細胞 (neural stem cell) を新生ラットの蝸牛内に移植したところ, 移植細胞が有毛細胞の形に変化して本来あるべき位置に場所におさまり, 内有毛細胞の特徴を示したという実験結果が報告されました [12]. この報告は, 細胞移植によって, 障害された細胞を置換できる可能性を初めて示唆したものでした [8]. 最近では, 聴覚再生研究の対象は, 有毛細胞から, 聴神経, 蝸牛神経核までも含むようになっています. ここでは, 「聴神経」機能の再生を中心に, 私なりの考え方を述べてみたいと思います. はじめに, 聴神経機能再生の研究背景について述べたいと思います.
注1:ここでは, 内耳の神経系が障害されて生じる難聴「感音性難聴」について述べています. 難聴にはさまざまのタイプのものがあります. 本HP内の「トピックス」に詳しい説明があります.
- 難聴の起こり方
ここでは, 聴覚再生医学の観点から聴覚神経系を3つの部分に分けて考えます. すなわち, ①有毛細胞 (hair cell), ②聴神経 (auditory nerve) (同義語として, 蝸牛神経cochlear nerve, ラセン神経節細胞 spiral ganglion neuron or cell), ③蝸牛神経核細胞 (cochlear nucleus cell) の3部分です (図1, 2). 聴神経は有毛細胞と蝸牛神経核の間に位置していて, その両端にはシナプス (synapse) という隙間があります.

図1有毛細胞, 聴神経, 蝸牛神経核の関係聴神経障害は3つの形に分けて考えるとわかりやすいと思います (図2).
【1】多くの感音性難聴は有毛細胞障害によって起こります. その原因には, 一部の抗生物質や抗癌剤の使用, 過度の騒音環境, 遺伝的要因などがあります. 有毛細胞が障害されると, その影響はシナプスを越えて聴神経まで及び, 聴神経までも変性することがあります (図2 矢印A). 【2】有毛細胞は正常のままで聴神経が最初に障害されることもあります (図2矢印B). これの一例として聴神経腫瘍という脳腫瘍があります. これは前庭神経から発生しますが, やがてすぐそばにある聴神経を圧迫するようになり結果的に難聴が見られるようになります. 小さな聴神経腫瘍では, 聴神経だけが変性して有毛細胞が温存される場合があることが知られています (選択的聴神経変性の発生) [33]. 【3】有毛細胞と聴神経が共に変性する病態もあります. また生理的現象でも老化では, 有毛細胞, 聴神経共に影響を受けることがあります.
聴覚の機能再生をめざすとき, Transitional zone (TZ) が重要な意味を持ってきます (図2). TZは, 脳神経や末梢神経が脳幹や脊髄から出て行く (または入ってくる) 部位に見られる構造で, 末梢方向に凸の形をしています. axonは中枢から末梢まで連続して走っていますが, axon周囲の環境がTZを境にして大きく変化します. TZよりも中枢側のaxon (図2実線で示した部分) は, oligodendrocyte由来のmyelin (CNS myelin) によって被覆されていて, axon間はastrocyte (星細胞) で埋められています. これに対して, TZよりも末梢のaxon (図2点線で示した部分) はSchwann細胞由来のmyelin (PNS myelin) で被覆されていて, axon間にはendoneuriumがあります. 以上のことから, 脳幹や脊髄からTZまでは, 本質的に中枢神経と見なすことができます [6].
一般的に, 末梢神経 (脊髄後根神経など) 内に移植された細胞から伸長してきた神経突起は, TZでastrocyteと遭遇して伸長が抑制されてしまいます [14]. 同様に移植細胞の遊走 (migration)もTZで抑制されます [41]. したがって, TZよりも末梢の部位 (蝸牛も含まれます) に細胞を移植するだけでは解決されないような問題が経験される可能性があります.
以上述べてきたことから, 次の3点が明らかになります. ① 聴神経はいずれの病態においても最終的には共通して変性する. ② 聴神経の再生だけで治療できる病態もあるが, 多くの難聴では, 有毛細胞再生の研究と相互補完的に行われる必要がある. ③ 聴覚神経機能を全体として再生させようとするとき, 蝸牛側と脳幹側からの双方向的なアプローチが必要になる, ということです.
図2 聴神経の解剖と病態 [29] (Frontiers in Bioscience 13, 2165-2176, 2008) (出版社の許可を得て転載) (http://www.bioscience.org/2008/v13/af/2832/fulltext.htm) - 治療方法の選択
聴神経再生を行おうとするとき, 細胞移植以外に実現可能性が高い方法があればそれを先に検討すべきであることは言うまでもないことです. 将来的に薬物療法が可能になれば, おそらくそれが最も好ましいことです. しかし, 現時点では, 他の方法に比べると, 細胞移植がよりrealityを持っていることが理解されます. 同じ脳神経の中でも顔面神経などの運動神経はaxonが切断されても細胞体 (soma) は残りますので, axon再生を期待することができます. しかし, 聴神経ではaxonやdendriteが障害されると, ほとんどすべての細胞体が変性消失してしまいます. 一般的には, 細胞体のないところに神経突起の再生はあり得ませんので, 細胞を外部から入れて再補充すること (=細胞移植) は合理的です. 一方, 細胞を移植するのではなくて, 体内に最初から存在している細胞を損傷部位に動員 (recruit) して治療しようとする考えがあります. 哺乳類においては, adultでも大脳の一部分 (subventricular zoneや海馬) では細胞新生が起こっているので, このような幹細胞を病変部位に集めて治療をしようとする考え方です. このような方法は将来的には可能性のある治療方法だと思われますが [26], 現状では病巣に集めることができる細胞が少ないこと, 集まってきた細胞を既存の神経回路と組み込むことが難しいことなどの問題点を解決する必要があります. 内耳にも幹細胞はありますが [28, 36, 44], 生後急速にその数が減少すること, 長期間にわたって難聴病態にあった内耳組織にどのようにして幹細胞が生き残っているのかなどが分かっていません. 以上のようなことから, 他の治療方法の可能性をさぐりつつも, 現状では細胞移植が現実性を持った治療方法として選択できると考えています.
- どのような実験モデルを使って研究をするか?
以上のような研究をin vivoで行うためには, 「有毛細胞は障害されないで聴神経だけが選択的に変性している」動物実験モデルが必須になってきます. 聴神経再生にとって重要な栄養因子などが有毛細胞から分泌されていると考えられるので [1, 3, 5], 有毛細胞が障害されないで残っていることは大切なことです.
薬剤変性実験モデル
これまでに発表されてきている「聴神経変性モデル」としては, 薬剤によるものが行われています. たとえば, ウワバイン (Ouabain) という薬剤を内耳局所に投与して聴神経を脱落させる方法があります注2. また抗癌剤の一種を局所投与ではなくて全身投与する方法もあります. これらの薬剤モデルでは, 投与する薬剤の必要最小量を決定し, 目的局所に正確に投与して拡散を防止することにより, より正確な聴神経変性を導くことができます. また全身投与を行うときには,聴覚神経系以外への影響も考慮する必要があります。
注2:ウアバインは, Na+/K+-ATPase阻害剤で, 心不全の治療に使われた歴史があります.
Mechanical Compression Model
聴神経を機械的に圧迫するという極めて単純な方法によって, 有毛細胞を温存したままで聴神経だけを選択的に変性させることができます [22]. このラット実験モデルでは, 頭蓋内で聴神経を細い鋼線で短時間押さえるだけなので, 実験操作の直接的影響は圧迫部分以外には及びません. さらには, 聴神経を押さえる強さを変化させることによって, さまざまの程度の聴神経変性を作成することができます. 生存期間についても, ラットは実験操作の影響を受けることなく「天寿」を全うできるようであり, 一年以上にわたって問題なく生き続けます. さらに最近の研究によって, この実験モデルにおいて, 脳幹の蝸牛神経核 (cochlear nucleus) にどのような変化が生じているかも定量的に明らかになりました [31]. 以上のことから, この実験モデルは, 有毛細胞からラセン神経節細胞を経て蝸牛神経核にいたる全部位の変化を包括的かつ定量的に評価できるモデルとして確立できたことになります. ただ, 前述した薬剤モデルに比べると手技的に多少面倒ですが, 私たちはこの実験モデルの利点を生かした研究も進めています.
- 内耳・聴神経への細胞移植方法
細胞移植治療のためには, まず細胞を聴覚神経系の内部に入れる必要があります. 図3に, これまで報告されてきた内耳への細胞移植の方法を示しました. この図には, 有毛細胞再生実験で使用されている細胞移植方法も含めて示しています.

図3 内耳への細胞移植方法 (模式図) [28] (Neurosurgery, 2007. 60: 417-33) (出版社の許可を得て改変転載) (ELS, endolymphatic sac; CA, cochlear aqueduct; CPS, canaliculae perforantes of Schuknecht; CSF, cerebrospinal fluid; HC, hair cell; IAC, internal auditory canal; RC, Rosenthal’s canal; SGC, spiral ganglion cell; VA, vestibular aqueduct)大きく分けると, ①膜迷路を経由するもの (A, B, C, D) と, ②膜迷路破綻を回避するもの (E) があります. それぞれに特徴と得失があります. ただ, これらの方法の中には, 蝸牛がbullaの中に飛び出している実験小動物には適用可能ですが, 蝸牛全体が側頭骨内に深く埋没しているヒトには適応が難しいと考えられるものもあります. Aは外リンパ液 (perilymph) が入っている鼓室階 (Scala tympani, ScT) に細胞を入れる方法で, 多くは正円孔を経由します. この場合, 移植後, 通常は移植細胞数が極端に減少します. これは, 外リンパ腔が蝸牛小管 (cochlear aqueduct, CA) を通して髄液腔とつながっているために, 移植された細胞が髄液腔に流れ出してしまうためとも考えられていますが [2], 移植部位における栄養障害によるapoptosisによる細胞死も大きな原因と思われます. この移植方法を聴神経再生との関連で考えると, ScTは聴神経の細胞体 (ラセン神経節細胞spiral ganglion cell, SGC) が収納されているRosenthal’s canal (RC) とcanaliculae perforantes of Schuknecht (CPS) [4, 29, 30, 37] によってつながっているので, ScT内に移植された細胞がRCに到達する可能性はあります (図3で示したCPSは, この経路を示した模式図であり, 実際には骨ラセン板のScTに面した部位に多数の小孔が認められます). また, ScTは, 前庭階 (Scala vestibuli, ScV) とhelicotremaで交通しているので, ScTに移植された細胞は原理的にはScVにも到達します [10]. Bは蝸牛側壁に穴を開けて中央階 (scala media, ScM) に細胞を移植する方法です. ただ, ScMはカリウムイオン濃度が高いので (約150 mEq/l), この腔は細胞生存には適さないという意見もあります [25]. また蝸牛へのdamageを最小限にとどめるために三半規管から細胞を入れる方法もあります [11]. D, Eは聴神経自体に細胞を移植する方法で, 聴神経再生の観点からは最も直接的な移植方法とみなすことができます. 蝸牛内で一部外リンパ腔を通過して聴神経に到達する方法 (D) と膜迷路に手を付けないで小脳橋角部脳槽を経由して細胞を移植する方法があります (E) [32, 35]. 膜迷路を経由する方法ではリンパ液が外部に漏れ出てしまうことになり, これが残存聴力低下を引き起こしてしまう可能性も否定できません. したがって, 残存聴力を極力温存しようというような微妙な状況のもとでは, 膜迷路破綻を避けた方がいいかもしれません. ただ現行の人工内耳 (cochlea implant) は外リンパ液が入っているScTに電極を挿入するので膜迷路は通常は破綻します. しかしこの場合, 人工内耳によって結果的に得られるadvantagesと膜迷路破綻によるdisadvantagesのつり合いを考えたとき, 前者が後者を大きく上回ることから, この場合, 膜迷路破綻は臨床的に問題になりません. 上記のすべての細胞移植手技は大なり小なり外科的侵襲を伴うことは否定できません. 方法Eでは膜迷路は温存されますが, 聴神経自体に細いチューブを挿入して細胞注入を行うので, 少なくともチューブ刺入部位では聴神経にtraumaが及ぶ可能性があります. しかし, 実際にはチューブはaxon間に滑り込むようであり, 細胞もaxon間の細胞外腔にゆっくりと注入されるので, ABRは比較的良好に温存されました [32]. また, 聴神経機能が完全に廃絶している場合には, 聴神経にtraumaが及ぶことはさほど問題にならず, 聴神経を移植細胞のscaffold (足場) として位置づけることができると考えています.
- 再生聴神経と有毛細胞間でのsynapseの形成にむけて: in vitro studies
In vivoでの実験に先がけて, 移植細胞が有毛細胞とsynapseを作ることができるか?がin vitroで検討されてきました. 実験方法としては, 聴神経になることが期待される移植細胞と正常有毛細胞を同時に培養して (共培養), 移植細胞から伸びた神経突起と有毛細胞がどのような接触の仕方をするかを見ています [1, 19-21, 43]. これまでの報告例を見ると, マウス聴神経と有毛細胞を共培養した実験においては, マウス聴神経は伸長して有毛細胞と接するようになり, 伸長した神経突起にSV2を認めています [19]. またマウスES細胞 (胚性幹細胞 embryonic stem cell) に神経分化誘導をかけた後に有毛細胞と共培養したとき, ES細胞由来の神経突起にsynapsin 1, synaptophysinを認めた報告もあります [20, 21]. またhES細胞からneural progenitorを誘導, さらにBMP4によってneuronを誘導した研究があります. このhES細胞由来のneuronと有毛細胞との共培養で, neuron側にsynapsinが発現しています [38]. 以上の報告では移植細胞から伸びた神経突起と有毛細胞との”contact”が空間配置上の偶然ではないことを証明するために, synapseに特異的に発現する蛋白 (SV2, synapsin 1, synaptophysinなど) を免疫染色で調べているわけですが, これらの蛋白は本来pre-synapticに発現する蛋白であり, それがpost-synapseな部分に発現しているという点について考察を要します (図1). 一つは, たとえ最終的にはdendriteとなる神経突起であっても, 成熟するまではaxon同様の振る舞いをするという説です [19]. この説を証明するためには, 培養期間を延長してneuronを次第に成熟させていったときに, これらpre-synapticな蛋白が消失するかどうかを見るのも一つの方法です [19]. また, ES細胞由来の神経突起がafferentとしてではなくて, むしろefferentとしての性格を持っていたのではないかとも考えられます. 聴神経という高度に分化を遂げたneuronをES細胞から誘導するためには, ES細胞に対して, さらにきめ細かなsignalsをタイミングよく与える必要があるのかもしれません.
- 移植細胞の選択とGene Networkの解明
聴神経再生の移植細胞として, どのような細胞が最も適しているか?という問題に対する結論はまだ得られていません. ただ, 成熟を遂げた細胞 (mature cell) には発展可能性がなく, 遊走したり突起を伸長させたりして受け手側組織 (host) 細胞との間にsynapseを形成する能力に乏しく, 既存の神経回路に良好には取り込まれません. そこで, さまざまに対応できる能力 (plasticity) を持った未熟な(immature) な細胞を移植する必要があると考えられています [3, 13]. では, どの程度まで未熟な(or 成熟した)細胞を使うか?ということが次の問題になります. この問題に関連して, Maclarenらは, 大脳または網膜由来の幹細胞をhost網膜に移植しても生着しないのは, host成熟哺乳類網膜には幹細胞を視細胞へと分化させる能力がないためであろうと考えました [18]. そこで移植細胞採取の時期をさらに遅らせて, 生後3-5日にwild-typeマウス網膜から細胞を採取して移植しました. ちょうどこの時期には, 視細胞 (桿体視細胞rod photoreceptor) が最もさかんに生み出されています. この時期に採取した細胞を移植するとhostに生着, synapseを形成して結果的に光に対する瞳孔反応が改善されました. この時期の細胞は, 転写因子Nrl (neural retina leucine zipper) が発現した後のpost-mitoticな細胞であることが注目されます. これに対して, この転写因子発現以前の前駆体を網膜に移植してもhostの網膜にはうまく取り込まれませんでした. 一般的に, 移植細胞が生着して機能するためには, ①移植細胞自体に備わっている内部プログラム (internal molecular program) と②移植細胞が周囲の環境から受け取るsignals (local environmental cues) が必要だと考えられますが [34], 上記の論文は, ①の要素の重要性を指摘したもので, 幹細胞よりも個体発生後期の成熟した細胞の方が移植成功率が高まる場合があることを示しました.
このような考え方を聴神経再生に適用すると, 発生学的に聴神経になることが確実に分かっている部位に由来する前駆細胞 (ontogenetic-stage/region-restricted precursor) を採取してきて移植するのがよいという考え方を生じます. そこで, 聴神経の前駆細胞であるN33という細胞を移植細胞として用いた実験が行われました [32]. このN33という細胞は, マウス胎児の将来聴神経になることが確実な部位 (otocystの腹側部分) に由来するものです [32, 34]. この細胞は形態学的・機能的に詳細に検討された結果, auditory neuroblastであると見なされています. また, この細胞はconditional immortalization下におかれているので, 実験動物に移植すると細胞周期が増殖から分化に転じて, 聴神経 (auditory neuron) に分化することが期待できます. そこで, この前駆細胞を正常聴神経に移植してみました. その結果, 細胞が移植部位から末梢側・中枢側へ良好なmigrationを示し, wild-typeの聴神経とそっくりの双極細胞 (bipolar cell) へと分化しました [32]. 現在, 同じ細胞を, 正常聴神経ではなく変性聴神経に移植する実験が行われています. すでに述べましたように, 聴覚障害のもとでは聴神経は変性している場合が圧倒的に多いので, N33が変性聴神経内でどのような「ふるまい」をするかを検討する必要があり, 現在この研究も進めています.
上述しましたように, 移植細胞の分化時期を適切に設定することは, 細胞移植の成否に関わる重要な要因であると言えます. 私たちが現在使用しているN33は, 細胞が聴神経になる直前のauditory neuroblastの段階で細胞分化を人工的に止め, 細胞移植後に細胞分化に転じるように仕組んでありますが, 果たしてこの時期の細胞が移植細胞として最適であるかどうかは不明です. この問題に関しては, 動物の生後の時間的経過に従って細胞を採取してくる従来の方法論に加えて, さらに正確な方法を探る必要性があります. たとえば, 細胞の発達段階で次々と発現してくる遺伝子群の発現様式 (Gene Network) を解明することによって, 真に移植細胞として適した細胞をより正確に決定することができる可能性があります. この意味からも, 上述した網膜再生の実験において, 転写因子Nrl が発現した後の細胞が移植細胞として適していたという指摘は示唆に富んでいます. 現在, 聴覚系や視覚系などの神経系の発達に関与するGene networkの解明が急速に進んでいます [9, 24]. 特に従来のcDNA Arrayに加えて, Oligonucleotide Array (Affymetrix®など)が加わったことによって, この分野は新たな展開を示しています. 従来からのImmunoblottingやRT-PCRなどの手法に加えて, GeneChipsによる解析が追加検討されることによって, 遺伝子発現の「ヒエラルキー」がより詳細に解明され, 細胞移植による聴覚再生医学に新たな知見がもたらされることが期待されます。 - 聴神経再生においてES細胞がしめる役割
ES細胞 (胚性幹細胞 embryonic stem cell) は, 内, 中, 外胚葉にまたがるさまざまな組織になりうる可能性があることからpluripotent (多能性) であると表現されます. 前述しましたように, 聴覚の再生研究についてもES細胞は重要な位置を占めてきました. 最近では, 受精卵からES細胞を獲得する方法に加えて, somatic cell nuclear transferによるもの [42] やiPS細胞に依拠する方法 [40] なども加わり, ES細胞を出発点とする研究諸分野は新たな展開を見せようとしています.
ES細胞に対して, 化学的合成培地使用下に段階的処理を加えて, in vitroでputativeな有毛細胞や視細胞などを作成した研究が見られるようになっています [7, 15, 17, 27, 38]. そこで次の問題として重要なことは, このようなES細胞由来のputativeな幹細胞, 前駆体や前駆細胞が, wild-typeの細胞と同じものなのか?また異なるものであるのか?もし異なっているとすると, どのように異なるのか?という点を明らかにすることだと考えられます. このようなことから, ヒトES細胞由来の神経幹細胞 (11株) と胎児由来の神経幹細胞 (4株) (wild-type) を集めてin vitroで比較検討した結果, LIF, FGF, Wntなどの神経分化に関与する重要な遺伝子に関連して相違が認められたという報告もなされています [39]. ただ一般的な問題として, 神経幹細胞 (neural stem cell)の実態が今ひとつ明確ではないという問題があります. ES細胞が採取される杯盤胞内の内部細胞塊 (inner cell mass) 自体が均一な細胞からなっているわけではなく, それをもとにin vitroで作成された幹細胞の均一性も問題になります. さらに, 神経系の細胞分化に関して現在使用可能なマーカーが極めて乏しいという現状があり, これは豊富なマーカーに恵まれている血液系細胞 (hematopoietic cells) などと比べると研究を進める上で不利な条件です. このようなことからも, in vitroでの検討に加えて, 作成された細胞を生体に戻したときにどのような動態を示すかを検討するin vivoの実験から多くの情報がもたらされると考えられます. Translational researchの立場からは, in vivoでの移植細胞の動態が最も重要であることは言うまでもありませんが, in vitroとin vivoでの研究成果の相互的feedbackによって, in vitroで得られた細胞の性格がより明確になり, それと同時に移植細胞としてどのような細胞が最適であるか?という重要な問題に対する解答も得られると考えられます.
- 結語
哺乳類の高度に分化複雑化した聴覚神経系の解剖学的構造と機能的巧妙さを考えるとき, 欠損した構造を元のままの姿にするという意味での再生は, 非現実的であろうと思われます [16]. 本稿では, できあがりの形にはこだわらないで機能的再建をめざすという意味合いから, タイトルを「聴神経再生」ではなく,「聴神経機能の再生」としました. 現在, 難聴の方々に大きな福音となっている人工内耳 (cochlear implant) は, 内耳の元の姿とは本質的に異なるものであり, 内耳内での電気刺激という工学的手法を援用することによってはじめて可能になっています. このようなことからも, 今後の研究展開は, 純粋に生物学的方法で行うことを重視しつつも, 学際的 (interdisciplinary) 手法を取り込む方向性も大いに検討すべきものと思われます. 聴覚神経系は, 感覚神経系の中でも最も複雑な構造をしていと言っても過言ではありません [23]. したがってその機能再生を実現させるためには,越えなければならないハードルがそれだけ多いとも言えます. そのことは, それだけ「やりがい」のある仕事であることも意味しています. 現在, 聴覚再生医学はその揺籃期またはいまだそこに至る途上過程にあるとも思われますが,私共には, cell biologistsからもたらされる基礎的実験成果に学びつつ, in vitroからin vivoへの橋渡し的 (translational) 役割をより一層果たしていくことが求められているように思われます.
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*連絡先: 関谷徹治 Tetsuji Sekiya, M.D.
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最終更新: 2012年1月31日 23:05