病理部の歴史_検査部の歴史 (2007年, 京都大学のWebサイトより抜粋)

http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/BB00000052/Body/7_3_5.html より引用

病理部病理学教室病理組織検査室と附属病院病理部
米国の臨床医学で進歩した生検の導入でわが国でも病理組織診断の必要性が高まり、昭和31(1956)年10月に病理学教室の中に病理組織検査室が設置さ れ、附属病院内外の病理検査を取り扱うことになった。受付件数は急速に増加し、昭和36(1961)年には年間4,000件、昭和40(1965)年には 8,227件に達し、受け付けた地区は四国、九州から東海地区に及んだ。検査料は当初1件2個までは200円で始められたが、次いで300円に上げられ、 物価の上昇、診断技術評価も加えて昭和39(1964)年には600円になり、以後文部省の受託検査規定に従って料金の算定がなされている。これらの収入 は一度国庫に納入された後、その130分の100が教室に還元され、本業の遂行のための人件費、材料費に充てられている。診断には、主として病理学を専攻 する大学院学生のほか教室員が当たっているが、最終の診断と検閲には経験を持つ教官が当たっている。
病理組織検査発足当時は、京都大学医学部附属病院の組織診断は院内プローベとして上記とは別に取り扱われていた。昭和33(1958)年6月には附属病院 に中央検査部が設置され、その1部門として病理組織検査室が発足し、病理学教室で診断されていた院内プローベは中央検査部の病理組織検査室に移されること となった。同室の創設には病理学教室の翠川修助教授が関係し、昭和34(1959)年8月まで同検査室の充実に努力、同時に附属病院すべてのプローベの診 断を担当していた。同年9月以降、専任助手が1名加わり沢田真治が2年間担当し、昭和36(1961)年から昭和40(1965)年12月まで3年間は狭 間章忠が、昭和41(1966)年以降、昭和52(1977)年3月まで高橋清之が診断に当たり、以後は南風原英之が助手をつとめた。
 昭和55(1980)年には附属病院の特殊診療施設として病理部が発足し、天理よろず相談所病院から山辺博彦が助教授に着任した。しかし病理部の定員が 講師振替で採用された1助教授のみであるために、中央検査部の1名、時に2名の助手が実質上病理部業務に加担する制度が残され、昭和50(1975)年以 来の助手には垣内洋、ついで中嶋安彬、樋口佳代子、金栄治、浜崎周次が逐次就任した。平成3(1991)年には中嶋安彬が中央検査部講師に昇任し、山辺助 教授と中嶋講師の体制が確立され現在に至っている。
 病理部の問題点は全診療科、全病理業務(病理解剖、生検、外科病理、細胞診)に対応できる教官と技官のマンパワー確保の困難によるもので、国立大学医学 部病理部の共通の課題でもあり、なお困難な事態にある。もう1つは病院での病理解剖機能の問題である。病理部に病院業務としての病理解剖・外科病理診断機 能を付与する必要が将来は不可欠である。それにも拘らず全国の医科大学の病理部では教官定員1、技官定員2が通例であり、さらに病理部が設置されるに至っ ていない大学もなお多いことから、院内措置としてのマンパワーの補強を行いつつ病理学教室と連係している現状である。

検査部
以前には「自分の受け持つ患者の検査は、自分で行え」という医師教育が行われていたが、検査の進歩と多様化のために中央化することが必要となった。京都大 学医学部附属病院においては、昭和33(1958)年4月1日に省令により中央検査部の設置が認可され、同年6月1日付で中央診療施設の中に中央検査部が 開設された。当時のスタッフとしては、部長(内科教授が併任)の下に、助教授(冨田仁)と助手4名が専任教官として、また病理部副部長 は&gai6172;川修助教授が兼務した。技術員は12名であった。検査としては、7月から血糖検査が開始され、9月から一般、血液、細菌、血 清、化学、病理組織、心電心音図、脳波筋電図、基礎代謝、呼吸機能、心カテ(心臓カテーテル)、内視鏡の各部門が業務を開始した。
部長は開設時の第2内科教授三宅儀をはじめ、内科教授が交代で併任していたが、その間昭和44(1969)年4月から翌昭和45(1970)年10月には 山口大学教授柴田進が併任した。昭和49(1974)年4月に初めて専任教授(部長)として名古屋市立医科大学生化学教授の村地孝を迎え、平成 2(1990)年11月に現職の森徹が着任した。
中央検査部の業務は、年々分化総合を繰り返しながら発展したが、昭和36(1961)年8月にはRI関連検査を中央放射線部同位元素部門に移し、昭和 42(1967)年6月には呼称を「検査部」と改めた。さらに、昭和48(1973)年4月には輸血部、昭和55(1980)年4月には病理部、平成 3(1991)年4月には光学医療診療部がそれぞれ検査部から独立した。検査部の部門としては、一般検査、化学検査、血液学的検査、血清学的検査、生理学 的検査、細菌検査および情報処理部門に整理された。最近における検査部の業務の変化としては、平成4(1992)年4月より時間外検査室を整備し、休日・ 夜間の検査を可能とした。同年11月には検査オーダリングシステムを完成し、入院患者についてはペーパーレス体制が可能となった。また、平成 5(1993)年4月にはDNA検査部門を新しく開設した。新中央診療棟が完成したことにより、同年12月には検査部の移転が終了し、平成6(1994) 年1月からは新棟で検査が行われるし、さらに、部内搬送システムの導入が予定されている。
平成5(1993)年12月現在の職員は教授1、助教授1、講師4、助手3、教務職員1の10教官(これは臨床検査医学講座のものを含む)と技師長1、副 技師長2(うち1名は院内発令)以下43名の技官と13名の事務員および非常勤職員から構成されている。年間処理件数は約400万件に達しているが、シス テムや機器の進歩によって一層の合理化と高度医療を支える検査体制の確立が期待されている。