2023年3月6日
概要
京都大学大学院医学研究科形態形成機構学 萩原正敏 教授、京都大学医学部附属病院 呼吸器外科 毛受暁史 准教授、京都大学医学部附属病院 早期医療開発科 中島貴子 教授らの研究グループは、健康成人および術後疼痛患者に対するエンドピンの安全性と有効性を検討する医師主導治験を開始いたしました。
胸部手術は術後に激しい痛みを伴い、深い呼吸を行うことが難しくなったり、咳をして気道分泌物を喀出することが困難になったりするなど、連鎖的に合併症を引き起こすことがあります。胸部手術後の疼痛を適切にコントロールすることは、患者さんのQOLと術後合併症に影響し、予後改善の観点から重要であります。そこで私たちは、新規の鎮痛薬であるエンドピンが、肺癌術後疼痛患者に対するよりよい効果をもたらすことを期待して、医師主導治験の計画を進めてきました。エンドピンはアドレナリン受容体α2B拮抗薬であり、強い疼痛に使われる麻薬に見られるような副作用を示さないため、がん性疼痛や炎症性疼痛等の強い痛みにも効果が期待されています。
研究グループは、2022年12月2日に医薬品医療機器総合機構(PMDA)に治験計画届を提出し、現在、健康成人に対する第I相パート(first-in-human試験)を行っています。第I相パートで安全性を確認した後に肺癌術後患者に対する第II相パートを実施する予定です。
図)エンドピンの作用機序: エンドピンは、疼痛抑制経路のアドレナリン受容体α2Bに作用し、ネガティブフィードバックによるノルアドレナリン放出を誘発し、それが疼痛伝達経路を抑制して鎮痛作用を示す。
背景
開胸手術や胸腔鏡下肺切除術などの胸部外科手術は、激しい痛みを伴います。これらの痛みは創部痛、外科的けん引、切除に伴う痛みやドレーン刺入部痛と考えられます。胸腔鏡下肺切除術は、開胸手術と比較すると術後の疼痛は少ないものの、一部の患者さんは依然として中等度から重度の手術後の急性疼痛が、特に手術後早期に認められます。
手術後に激しい痛みがある場合、深い呼吸を行うことが難しく、残気量が減少します。また、咳をして気道分泌物を喀出することが困難になるなど、連鎖的に合併症を引き起こすことがあります。胸部手術後の疼痛を適切にコントロールすることは、患者さんのQOLと術後合併症に影響し、予後改善の観点から重要であります。
京都大学医学部附属病院呼吸器外科では、胸腔鏡下肺切除術において、術後疼痛に対して肋間神経ブロック、および静注または経口の鎮痛薬を使用しています。薬物療法は、原則的に疼痛の程度に応じて増減されます。海外の報告では、肺切除術後の急性疼痛に対して、硬膜外麻酔、麻薬による静脈内麻酔、胸部傍脊椎ブロック、肋間神経ブロックが使用されています。硬膜外麻酔は最も汎用される手技ではあるものの、低血圧、徐脈、尿閉、神経損傷、まれに硬膜外血腫による対麻痺という合併症が認められます。麻薬も、単純で一般的に使用されている方法ではありますが、過度の鎮静は、呼吸抑制、気道分泌物貯留、感染などの肺合併症のリスクを高める可能性があります。肋間神経ブロックは、術後の痛みと鎮痛薬の処方量を減らす効果的な方法であることが示されていますが、長期的には、神経障害性の痛み、感覚異常、肋間筋麻痺の発生率が高くなるとされています。
いずれの方法も利点と欠点があるため、実際には患者さんの全身状態、年齢、術式等を勘案し、十分な鎮痛効果が得られ最小限のリスクとなるよう、手術実施施設・術者にて疼痛管理の方法が選択されています。
このような状況の中で、本研究グループ(萩原)はこれまでに、アドレナリン受容体α2B拮抗薬であるエンドピンが、交感神経シナプス前膜のα2Bを介してネガティブフィードバックによるノルアドレナリン放出を誘発し、それがα2Aを刺激して脊髄後角の侵害受容ニューロンを抑制して鎮痛作用を示すことを示しました。さらに、鎮痛効果を示す用量において、麻薬に見られるような行動変容や呼吸抑制作用などの副作用を示さないことを発見し、がん性疼痛や炎症性疼痛等の強い痛みを抑える新薬として有望であることが分かりました。
そこで私たちは、エンドピンが、肺癌に対して胸腔鏡下肺葉・区域切除術を受け、術後疼痛を認めた患者さんに対して鎮痛効果をもたらすことを期待して、医師主導治験を進めています。
医師主導治験の計画
本治験では、用量漸増プラセボ対照ランダム化比較試験として、まず健康成人男性を対象とした第I相パート(first-in-human試験)において、エンドピンを単回投与した際の安全性(副作用の有無など)などについて検討します。次に、二重盲検プラセボ対照ランダム化比較試験として、肺癌に対して胸腔鏡下肺葉・区域切除術を受け、術後疼痛を認めた患者さんを対象とした第II相パートにおいて、エンドピンを単回投与した際の安全性(副作用の有無など)と、探索的に有効性についても調べます。
現在、健康成人男性を対象とした第I相パート(first-in-human試験)を実施しております。第I相パートで安全性を確認した後に第II相パートを実施する予定ですが、現時点では登録及び募集はしておりません。
波及効果
本治験でエンドピンの鎮痛効果が明らかになれば、がん性疼痛や炎症性疼痛等の強い痛みを有する多くの患者さんでの使用が期待されます。また、欧米では麻薬の乱用による薬物依存症が蔓延しており、中毒による死者数の増加と合わせて社会問題化していますので、依存性がなく副作用の少ない鎮痛薬として、エンドピンが麻薬の代替となりうる可能性もあります。
研究プロジェクトについて
本治験は、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)CiCLE事業の研究費、及び株式会社BTB創薬研究センターからの治験薬提供を受けて実施されます。
治験実施体制
研究者のコメント
癌性疼痛の強い痛みに対しては麻薬性鎮痛薬が用いられることが多く、結果として多くの人々が麻薬の副作用によって亡くなっており、“オピオイド危機”と呼ばれる深刻な社会問題を米国等で惹起しています。エンドピンは京都大学における基礎研究から発見された全く新しい作用機序の疼痛抑制薬で、麻薬性鎮痛薬に比肩する薬効を有しますが、非臨床試験では中毒性や副作用を示していないため、オピオイド危機の救世主になり得ると期待できます。(萩原 正敏)