2023年5月25日
概略
京都大学医学部附属病院は、2023年3月2日及び3月30日に海外から受け入れた先天性巨大色素性母斑患者の手術を実施しました。
患者:インドネシア在住、6ヶ月男児
診断名:先天性巨大色素性母斑(体表面積の約60%が先天性色素性母斑)
患者は、インドネシア在住の6ヶ月男児です。生下時より体表面積の約60%の広範囲に色素性母斑を認め、先天性巨大色素性母斑注1と診断されました。色素性母斑は、頭部、顔面、両上肢、胸部に大小の母斑が点在、腹部および背部から両側大腿はほぼ全面が母斑、左下腿も全面が母斑であり、左右の足にも母斑が点在していました。色素性母斑の治療は外科的切除が基本であり、単純切除、分割切除、皮膚移植術、組織拡張器を用いた切除手術などが行われています。しかし、当該患者のような先天性巨大色素性母斑、特に体表面積の数10%以上となるような巨大母斑の治療方法は確立しておらず、外観の改善を図るため各種レーザー治療のみを受けておられる方、あるいは無治療のまま経過観察されている患者も存在します。
このような現状から、患者の両親がインドネシア国外も含めて先天性巨大色素性母斑の治療を行っている施設を探し、当院形成外科に連絡されました。本邦では、患者皮膚から細胞培養技術を用いて作製する自家培養表皮注2が2016年より先天性巨大色素性母斑治療にも適応拡大され、保険治療として実施できるようになっています。当院形成外科の森本尚樹教授は自家培養表皮を用いた先天性巨大色素性母斑治療の第一人者であり、これまでに100例以上の治療を行っています。
患者は生後5ヶ月時に京大病院を受診し、残されている健常な皮膚が少ないことから皮膚移植術等の通常治療では治療困難と判断し、自家培養表皮を用いた治療計画を立てました。2023年1月27日に局所麻酔下で皮膚採取を行い、自家培養表皮が作製できるまでの間、一旦帰国されました。
2023年3月2日に全身麻酔下で顔面、右前腕、左下腿の色素性母斑のキュレッテージ注3及び自家培養表皮移植(8枚:1枚の大きさは8cmx10cm)を行いました。これ以外の部位の小母斑の切除及び炭酸ガスレーザーを用いた焼灼術も行い手術を終了しました。手術時間は5時間15分でした。術後の経過は良好で、移植した自家培養表皮も生着し、3月13日に退院されました。当初は1回のみの手術予定でしたが、1回目の経過をみて、残された母斑に対して2回目の手術も行うこととなりました。
2023年3月30日に2回目の手術を行いました。全身麻酔下で右下腿、腹部、背部の色素性母斑のキュレッテージ及び自家培養表皮移植(12枚)、これ以外の部位の小母斑の切除及び焼灼術も行い手術を終了しました。手術時間は5時間40分でした。2回目の手術経過も良好で、4月11日に退院され、帰国されました。
本手術の意義と発展性
今回実施したキュレッテージ手術は色素性母斑の表層を除去する手術ですが、表層除去後はその部分の皮膚表層が欠損した状態となるため、手術侵襲の大きさ、術後の創管理の困難さから一度に体表の5%程度以上の大きな範囲の手術をするのが困難でした。自家培養表皮を用いることができるようになったことで、皮膚欠損の修復を即時に行うことができるため、従来では実施できなかった大きな範囲のキュレッテージ手術を行うことができるようになりました。今回も、1回目の手術で体表面積の8%程度、2回目の手術で体表面積の20%程度の母斑のキュレッテージを行うことができ、入院期間中に大部分の上皮化が完了しました。
この手術の課題は、皮膚深層の母斑細胞を完全には除去できないため、色素性母斑の再発がみられることです。この課題を解決するため、当院形成外科では色素性母斑組織そのものの細胞を死滅(殺細胞処理)させた後に再移植し、母斑細胞を完全に除去する治療法の開発を行っています。既に殺細胞処理を行う機器の治験が終了しており、近い将来この新規治療が保険治療として実施できるようになることを目標としています。
自家培養表皮を用いた本邦での治療は、重症熱傷、先天性巨大色素性母斑に加え、2018年には表皮水疱症にも適応拡大されました。自家培養表皮を用いた治療法の経験は本邦で集積されており、本邦発の治療法として海外に発信できる治療です。今後も国内、国外を問わず治療を実施し、更に良好な成績を得て、最終的にはどんな大きさの先天性巨大色素性母斑でも治療可能となることを目標として、臨床治療、基礎研究を行っていきます。
ご両親からのコメント
息子を京大病院形成外科森本教授に治療してもらうため、インドネシアから来日しました。森本教授が先天性巨大色素性母斑について書かれた医学雑誌をたくさん読み、連絡をとりました。
息子は京大病院で、2023年3月2日と3月30日の2回手術を受けましたが、病院の温かい対応をとても嬉しく思っています。先生方、看護師、事務スタッフの皆さんには大変お世話になりました。本当に感謝しています。 皆さんとてもプロフェッショナルで、親身に接してくださり、きめ細やかな対応をしていただきました。私たちは海外から来たので、特に、コミュニケーション、宿泊場所や交通手段を探すことが大変でしたが、病院の皆さんが協力してくださり、とてもスムーズに全ての手続きを行うことができました。
インドネシアからの患者の受入れについて対応可能な身元保証機関を見つけることにも苦労しましたが、今回対応いただいた身元保証機関の方に全てをスムーズに進めていただき、感謝しています。
皆さんの親切な対応に、息子をはじめ家族一同感謝しています。本当にありがとうございました。
用語説明
注1:先天性巨大色素性母斑
色素性母斑は、一般に「ほくろ」と呼ばれる黒褐色のあざです。色素性母斑の真皮に存在する母斑細胞がメラニン色素を産生し黒褐色になります。先天性巨大色素性母斑は、成人になったときに直径20cm以上となる大きさの母斑(1歳時点での目安は体幹で6cm、頭部・顔面では9cm以上)で、出生2万人に1人程度の発生があるとされています。先天性巨大色素性母斑では、母斑から悪性黒色腫(皮膚のがん)が数%程度の確率で発生すると報告されています。
注2:自家培養表皮
自家培養表皮(ジェイス®:株式会社ジャパン・ティッシュエンジニアリング)は2009年に重症熱傷に対して保険適用となった日本初の細胞使用製品です。1~2cm2の患者さんご自身の皮膚を採取し培養することで、患者さんの全身を覆うことができる大きさの自家培養表皮を作製できます。世界各国で自家培養表皮製品が1990年代より製品化されており、主に重症熱傷に対して使用されています。
注3:キュレッテージ
色素性母斑の表層を、鋭匙(金属製の器具)を用いて削り取る手法で、1987年に初めて報告されました。母斑細胞は生下時には表層に存在しますが、徐々に深部へと浸潤するため、この方法を行うのであれば月齢が早い方がよいとされています。1歳を過ぎると実施できなくなることが多いです。現在は、鋭匙で削り取るだけでなく、水圧式ナイフ、炭酸ガスレーザーなども用いて母斑組織を除去しています。