2025年11月28日
1.概要
京都大学医学部附属病院は、切除不能進行・再発固形癌症例に対し、一次治療(標準治療)開始前にがん遺伝子パネル検査(FoundationOne® CDxがんゲノムプロファイル)を行った場合の臨床的有用性を検証することを目的に、国内5施設(愛知県がんセンター、和歌山県立医科大学附属病院、富山大学附属病院、東京大学医学部附属病院、東京科学大学病院)とともに、2021年5月から先進医療Bとして臨床研究を実施しました。その結果はすでに2023年7月および2025年4月に公開し、専門家による会議(エキスパートパネル)の結果から推奨できる治療が約61%(105/172)に認められ、実際に約23%(39/172)の患者さんに推奨治療を提供できました。この割合は、現在、保険診療で行われているがん遺伝子パネル検査の実施条件である「標準治療終了後のタイミング」で行った場合のデータ(8.2%)と比較して約2.8倍と高く、一次治療(標準治療)開始前にがん遺伝子パネル検査を行うことでより多くの患者さんに効果の期待できる治療が提供できることが示されました。
さらに、がん患者さんにとっての真の利益である
生存期間への効果について評価するために、先進医療Bに参加された症例の「3年フォローアップの観察研究」を実施しました。その結果を以下のとおり発表します。
2.背景
がんは遺伝子の異常で起きる疾患で、最近は個々の遺伝子の変異に対する治療薬が開発され治療成績が向上しています。これまでは、それぞれの遺伝子異常をひとつずつ調べていましたが、次世代シークエンサー(NGS)を用いたがん遺伝子パネル検査により、一度にたくさんの遺伝子変異を調べることが可能になりました。
わが国では、がん遺伝子パネル検査が2019年6月から保険診療で実施できるようになりましたが、その適応は「標準治療がない、もしくは終了した(終了見込み含む)症例」に限られています。そのため、がん遺伝子パネル検査の結果に基づく治療薬へのアクセスは、全身状態の悪化で治療を受けられない場合があることや、未治療や治療歴の少ない症例を対象とした新薬の治験や先進医療などの臨床試験に参加できないなど、治療に繋がる割合が低いことが課題とされています。実際、厚生労働省第12回がんゲノム医療中核拠点病院等連絡会議資料では、がん遺伝子パネル検査結果に基づいた治療を実際に受けた症例は8.2%にとどまっています。
がん医療におけるがん遺伝子パネル検査のコンセプトは、最新の遺伝子解析技術を用いて、症例毎にがん細胞の遺伝子異常をプロファイリングし、効果が期待できる治療を適切なタイミングで提供するとともに、効果の期待できない無駄な治療を回避することです。そのため、世界的には、一次治療(標準治療)開始前、または治療のできるだけ早いタイミングでがん遺伝子パネル検査を実施することが推奨されています。また、がん遺伝子パネル検査にはコンパニオン診断機能が搭載されており、初回治療選択時にコンパニオン診断に基づく治療実施に役立たせたり、がん遺伝子プロファイリングに基づく臨床試験に参加する計画を立てやすくしたりするなど、その機能を最大限に活用することが重要です。
ファイリングに基づく臨床試験に参加する計画を立てやすくしたりするなど、その機能を最大限に活用することが重要です。
我々は、当院を含む国内6施設において、消化器がん、肺がん、乳がん、婦人科がん(子宮、卵巣)、悪性黒色種を対象に、「化学療法未施行の切除不能進行・再発固形癌に対するマルチプレックス遺伝子パネル検査の有用性に関する臨床研究(FIRST-Dx)」を先進医療Bで実施しました。その結果は既に、令和5(2023)年3月9日の厚生労働省先進医療技術審査部会での審議後に本研究の総括報告書として公開され、英文科学誌にも発表しました(Matsubara J, et al. JAMA Network Open 2023; 6(7): e2323336. Matsubara J, et al. Cancer Science 2025;116,1908-19)。概要としては、エキスパートパネルで推奨できる治療が約61%に認められ、実際に約23%の患者さんに推奨治療が提供できました。この割合は、前述の厚生労働省資料の「保険診療下では8.2%」というデータと比較して約2.8倍と高く、一次治療(標準治療)開始前のがん遺伝子パネル検査の有用性が示されました。
一方で、がん患者さんにとっての真の利益は「生存期間の延長」であると考えられます。そのため我々は、FIRST-Dx研究に参加された患者さんのその後の治療経過を3年間観察するフォローアップ研究を実施して生存期間への効果を評価しました。
また、同期間内に抗がん薬治療を実施された患者さんのデータとの比較をJ-CONNECTデータベース*を活用して実施しました。
* J-CONNECT:京都大学大学医学部附属病院がPRiME-R社および国内の医療機関(25施設)、製薬企業(2社)、IT企業(1社)と連携し、院内がん登録データと電子カルテデータを統合し利活用を促進するリアルワールドデータベースコンソーシアム。
3.経過
令和2年11月30日 先進医療B:FIRST-Dx研究が京都大学大学院医学研究科・医学部及び医学部附属病院 医の倫理委員会より承認
令和4年2月 先進医療B:FIRST-Dx研究の最終症例登録(研究期間は令和4年8月まで)
令和4年8月 FIRST-Dx研究参加症例の3年フォローアップ観察研究が京都大学大学院医学研究科・医学部及び医学部附属病院 医の倫理委員会より承認
令和7年2月 FIRST-Dx研究参加症例の3年フォローアップ終了
4.臨床研究の概要
- 1. 試験名:「化学療法未施行の切除不能進行・再発固形癌に対するマルチプレックス遺伝子パネル検査の有用性評価に関する臨床研究(FIRST-Dx trial)」の研究期間後フォローアップ観察研究
- 2. 目的:薬事既承認のがん遺伝子パネル検査(FoundationOne® CDxがんゲノムプロファイル) が行われた症例について、全生存期間およびエキスパートパネルによる推奨治療を実際に受けた症例の割合や治療経過等を評価することで、初回治療法選択におけるがん遺伝子パネル検査の臨床的有用性を検証する。
- 3. 試験デザイン:多施設共同前向き観察研究
- 4. 対象疾患:全身化学療法未施行の切除不能進行・再発癌(消化器・肺・乳腺・婦人科・悪性黒色腫)症例
- 5. 対象被験者:先進医療B FIRST-Dx研究に登録され、F1CDx検査が行われた症例
- 6. 対象被験者数:172例
- 7. 主要評価項目:全生存期間
5.臨床研究実施体制
〇 研究者代表者:
京都大学医学部附属病院 腫瘍内科 武藤 学 教授
〇 研究事務局:
京都大学医学部附属病院 腫瘍内科 松原淳一 准教授
京都大学医学部附属病院 腫瘍内科 向井久美 特定職員(臨床検査技師)
〇 調整事務局:
ArkMS株式会社 服部舞衣子
〇 分担研究機関:
愛知県がんセンター、和歌山県立医科大学附属病院、富山大学附属病院、
東京大学医学部附属病院、東京科学大学病院
6.結果の概要
本研究では、経過観察期間中央値25.0ヶ月の時点で、実際にエキスパートパネルによる推奨治療を約25%の患者さん(43症例)に提供できました。実に、標準治療終了後のタイミングの約3倍の患者さんに治療を提供できたことになります。この結果は、観察期間を伸ばすことで、推奨治療につながる患者さんが増えることを示しており、一次治療(標準治療)開始前にがん遺伝子パネル検査治療を実施することが、その後の治療選択に役立つことを意味していると考えます。
そして、エキスパートパネル推奨治療を受けた43症例の全生存期間は、それ以外の123症例と比較して統計学的に有意に延長することが確認されました(推奨治療を受けた症例群で死亡リスクが41%減少、ハザード比 0.59[95%信頼区間0.36~0.96]、P=0.0316)。また、一次治療および二次治療におけるエキスパートパネル推奨治療の無増悪生存期間は、それ以外の治療を受けた場合より良好であることも示されました。特に、二次治療でエキスパートパネル推奨治療を受けた症例でその差がより顕著でした(推奨治療を受けた症例群で増悪リスクが59%減少)。結果的に、二次治療以降でエキスパートパネル推奨治療を受けた症例は、それ以外の治療を受けた症例と比較して死亡リスクが57%低下することが示されました。
この結果から、がん遺伝子パネル検査は、現在の保険診療の条件である標準治療終了後のタイミングではなく、一次治療(標準治療)開始前のタイミングで実施することで、適切なタイミングで効果の期待できる治療を提供でき、がん患者さんの生存期間に良い効果をもたらす可能性があることが示されたと考えます。
すなわち、切除不能進行・再発固形癌症例に対しては、一次治療(標準治療)開始前にがん遺伝子パネル検査を実施することががん患者さんの真の利益につながることが示されたことになります。なお、本研究結果の詳細については、2025年12月5日の第46回日本臨床薬理学会学術総会にて発表予定です。
(用語説明)
- ・がん遺伝子パネル検査:がん細胞のDNAを網羅的に解析し、複数のがん関連遺伝子の変異や異常を一度に調べる検査。分子標的治療薬や免疫チェックポイント阻害薬の適応を判断するための「バイオマーカー探索」に用いられる。
- ・コンパニオン診断:特定の分子標的治療薬を使用する際に、その薬剤が有効かつ安全に使える患者を選別するために必須とされる体外診断検査。薬剤の承認時に「セット」で承認されることが多い。
- ・一次治療:がんに対して最初に行う薬物療法。臨床試験で最も有効性と安全性が確認され、標準治療として推奨されることが多い。
- ・二次治療:一次治療が無効、または副作用で継続困難となった場合に行う次の治療。一次治療で得られなかった効果を補うために、作用機序の異なる薬剤や新規治療法が選択される。
- ・標準治療:大規模臨床試験やガイドラインに基づき、現時点で最も有効性と安全性が科学的に確立されている治療法で、専門家が推奨する治療法。「平均的」ではなく「最良のエビデンスに基づく治療」を意味する。
- ・全生存期間:治療開始から死亡までの期間を指標とする。どんな理由で亡くなったかに関係なく、「生きていた時間の長さ」を測る指標であり、がん治療の最も客観的かつ臨床的に重要なアウトカムである。
- ・無増悪生存期間:治療開始から、最初に腫瘍の増悪(進行)または死亡が確認されるまでの期間。腫瘍縮小や進行抑制効果を早期に評価できる。
(本件問合せ先)
腫瘍内科 准教授 松原 淳一
TEL:075-751-4349